移動 | |
陣痛の間隔が確実に短くなっていく。この時のために、私は色々とお笑いネタを覚えていた。妻を笑わせて、リラックスさせることができれば、と思っていたからである。だが、実際に目の前で必死に陣痛に耐えている妻の姿を見て、お笑いどころではなかった。呼吸することさえ ままならず、私の声を耳に届かせるだけで精一杯だった。 陣痛が1分置きになり、遂に分娩室へ移動することになった。前もって本で読んでいたから知っていたのだが、この分娩室への移動は妊婦が歩いて移動する。あの猛烈な陣痛を抱えながら。少しでも妻の支えになるべく、私は妻に肩を貸しながら、一緒に分娩室へ向かった。向かったとは言っても、妻の入院部屋の向かいが分娩室だったため、移動歩数は僅かですんだ。妻が分娩台に上がったところで、私は一端 分娩室の外での待機を命じられた。数分後、分娩室から助産師が出てきて、私に白衣を着せてくれた。いよいよ私も分娩室内へ。 妻の苦しみ方は先ほどの比ではなかった。呼吸をするだけで精一杯だった。私は妻の手を握り、思いつく限りの励ましの言葉を妻にかけた。この際、その言葉が妻の耳に届いているのか否か、言葉に どれだけの説得力があるのかは どうでもよかった。しかし、程なくして私は かけるべき言葉を言い尽くしてしまった。私は焦った。次に何と言えばよいのか。 助産師は妻に対し、必死に指示を出している。だが、呼吸するだけで精一杯の妻の耳には届いていなかった。咄嗟の思いつきで、私は助産師の言葉を妻の耳もとで繰り返した。すると、助産師の声には無反応だった妻が、私の声に対しては反応し、その指示に従ってくれた。助産師の中継基地としてなら私は役に立てそうだ。呼吸方法について助産師から指示が出た。私は妻の耳でそれを繰り返し、妻と一緒に その呼吸法を実践した。妻の全身に力が入ると、私も思わず つられて全身に力が入った。痛みの有無という大きな違いこそあるものの、この苦しみを、夫婦で一緒に心で背負っているという確かな実感があった。 しばらくしてから産科医が分娩室に入ってきた。助産師と何やら話しているようだったが、今の私には その内容は どうでもよかった。産科医が言った。「切りますので、まずは麻酔を打ちますね」次の瞬間、まともに話せなかったはずの妻の口から「痛い〜!」という悲鳴が出た。普段は決して弱音を吐かない妻。よほどの痛みだったことは想像に容易い。痛み止めの麻酔注射が ここまで痛いというのは何とも皮肉な話である。麻酔が効いてきた頃、産道の出口部分が産科医によって切られた。雑巾を鋏で切った時のような、鈍い音が私の耳に届いてしまった。この時の音は今でも私の耳に残っているのだが、麻酔のお陰か妻の反応は ほとんど変化無しであった。 |
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