そして遂に

 妻が いきみ、痛みに耐え、の繰り返しが続いた。この攻防が いつまで続くのか? 永遠に続くのではないか? そんな根拠のない不安が私の中で渦巻き始めた まさに その時だった。助産師が大きく叫んだ。「もう いきまなくて大丈夫だよ!」

 私は昔から血が大の苦手である。血みどろの映像を見ると、すぐに貧血を起こしたり、気持ち悪くなったりする。そのため、本来は立ち会い出産をしたい気持ちは あったものの、分娩室で自分が倒れてしまうのではないか、そんな不安が大きかったため、出産に立ち会うつもりは無かった。

 だが、妻は私が立ち会うことを強く望んだ。それ以来、私は少しでも血みどろ場面に慣れるため、毎日バイオハザードで遊び、イメージトレーニングを積んだ。だが、いかにイメージトレーニングをしようとも、本物の血を見た際、自分が どうなるかが分からなかった。だから、分娩室に入ってから、なるべく妻の下半身には目を向けず、妻の目だけを見るようにした。1度だけ目を下に向けたら、助産師の両手が血だらけになっているのが目に入ってきた。私は すぐに目を背けた。イメージトレーニングのお陰なのか、それとも凝視しなかったお陰なのかは分からないが、今回は何とか貧血で倒れる事態は回避できた。だが、次は分からない。

 そんな私であったが、「もう いきまなくて大丈夫だよ!」という声を聞いた瞬間、条件反射的に目が妻の下半身に向かった。まさに その瞬間、新しい生命の誕生を目の当たりにした。同時にバケツの水を一気に こぼしたような音が聞こえた。羊水の音だろうか。と思った次の瞬間、助産師が「うわっ、羊水が こんなに・・・」と。私の予想が当たった。

 定期検診で超音波診断をした際、9割方 女の子と言われていたのだが、実際に生まれてみないと100%の断言は できない。そんな状況だったが、事前の予告通り、女の子だった。

 だが、妻のお腹から出てきた赤ん坊は全く声を発しない。頼むから、ここまで来て死産という展開だけはやめてくれ! 私は心の中で そう叫び続けた。数時間にも感じた数秒の間を置き、分娩室内に赤ん坊の泣き声が響き渡った。私は妻の上半身に抱きついた。妻は泣き声とも歓喜の声ともつかない声を発した。我が妻よ、この10か月間、ありがとう。そして今、こんなに大変なことを、よくやってくれたね。

 生まれたばかりの赤ん坊を、助産師が妻の お腹の上に乗せてくれた。妻は乳房を出そうとしていた。カンガルーケア、というものをしたかったのだろう。私も、そうさせてあげたい気持ちでいっぱいだった。だが、ここの病院の方針ではカンガルーケアは行わない、ということを事前説明で受けていたため、願いが叶わないことは分かっていた。感動の対面もつかの間、助産師が赤ん坊を連れて行った。専門的な事は分からないが、衛生的な問題やら医学的な問題が絡んでくるのであろう。

 ここから事後処理が行われるとのことで、私は分娩室の外で待つこととなった。
 
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